コラム

サイパンでフライトトレーニング         2008.9.28〜10.1  園田 


「思い切ってサイパンへ」
空を飛べないというのはこんなにストレスが溜まるものかと、
仕事中のバスのガラス越しに日々青空や沸き立つ雲を恨めしく見つつ悶々としていた矢先、高橋さんよりサイパンでのフライトトレーニングを誘われて思い切って出かけてきました。

 現地でのフライトトレーニングは、以前海自のP3C機乗員だったインストラクタのヒロさんのご指導のもとセスナ172(N13230)です。
トレーニングはテニヤン島でのタッチアンドゴーが主体で、サイパン国際空港でのナイトフライや島一周の観光フライトなどなど盛りだくさんで楽しいものでした。またホテルからボートで4〜5分のマニャガハ島ではヤシの木陰でしばし海を眺めのんびり出来ました。
また、観光が主体のサイパンでは日本語ができないと生活出来ないそうで現地の人ほとんどが日本語ができるのにびっくりしました。

 高橋さんには無理をお願いして9月末の私の休みに合わせていただき、チャートの入手や現地でのフライトトレーニングはもちろん、宿や航空券の手配もすべて高橋さんにご迷惑をお掛けしてしまいました。お忙しい中を本当に申し訳なく感謝しています。


「慰霊碑の白と珊瑚の白」
さて、まだ明けやらぬ休日の朝、意気揚々と京浜急行の始発に乗って成田空港で高橋さんと落ち合う。
NW96便エアバス330で初めてのサイパンへ。
 高橋さんから聞いていたものの高温多湿。じりじりと日は焼けつくように熱くかなり蒸し暑い。 遠く水平線にCBが何本も立ち上がっていて緑の海には白い波が砕けていてまさに南海の島そのものです。
 サイパンと言えばかつて第2次世界大戦の激戦地。レンタカーでの島巡りで知りましたが、長さ約10マイルのこの小さな島で日米合わせて2万人もの犠牲者が出たとの事。戦争のニュースフィルムにある、ご婦人が断崖から身を投げたバンザイクリフもこの島の北にあります。島の各所に日米の慰霊碑や朽ち果てた大砲などの遺跡もあります。
 またサイパンから4マイルを隔てて南にはテニヤン島があります。昭和20年頃の当時、米軍はここを拠点として、B29を連日のように東京を始め日本の大都市に空爆を行っています。また、人類史上初めてここで原爆を積み、広島、長崎に投下したことでも知られています。以前九州の母が、戦争時に日本の飛行機の真っ黒い色と違いB29はきらきらときれいだったと言っていましたがそのB29もここテニヤンから飛んできていたものだったのかもしれません。


 サイパン国際空港を飛び立ち管制空域を離れとすぐ南西にテニヤン島。その北辺に当時の米軍基地(建物も何もない)4本の長い滑走路は今や深い草に覆われています。原爆を搭載した場所が見えます。
すぐ南には長さ2500mのテニヤン飛行場。ここでタッチアンドゴー主体のトレーニングを行いました。

「サイパンはファイナルが難しい!?」
 ところで肝心のフライトですが残念ながら事故の多さなど諸般の事情により昨今はロタやグアムなどへの洋上フライトはできなくなっているとの事でした。
それでもヒロさんのインストラクションで、高橋さんと交替で免許取得訓練以来のナイトでのタッチアンドゴーなどもやり約4時間のフライトトレーニングを無事こなしてきました。
素人なりにあえて感じたことを述べますと、現地フライトでの特徴として

@テイクオフからショートフャイナルまでの間エンジンコントロールが難しいこと。
Aベースターンが早目であること
Bファイナルでサイパンの風が吹くこと
CPAPIやVASIはあまり気にしなくて良いこと
Dファイナルでオートパイロットが働くこと
Eファイナル上でVSIは800を指示することがあること(耳が痛くなることもある)等々。



 以上今回初めてのサイパンでのフライトトレーニングでしたがフライトはもちろん、ビーチでのんびりしたり、歴史に触れたり、ヤシの葉音や胸一杯に南の島の心地よい潮風を心から楽しめました。
今回の旅行中すべてにわたり高橋さん、インストラクターのヒロさんには大変お世話になり心よりお礼申し上げます。

 

屋根が特徴のサイパン国際空港

インストラクターのヒロさんと

原爆投下機エノラゲイの発進基地テニアン

ナイトの訓練は滑走路がきれいだ

サイパン北端のバンザイクリフ

サンゴ礁の島 マニャガハ島















 
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