コラム
知覧特攻基地のこと(九州クロカンに参加して)
園田 時馬 2003.5.5
桜の季節に飛び立っていく…
4月はじめの総会の折に広田会長さんがお話しされていました鹿児島の知覧町にあった陸軍特攻隊基地の事が気になっていました。その後、仕事の休み時間に、ぽかぽか陽気と桜吹雪に誘われて、人出の多い北品川の町を歩き、小さな古本屋さんで「特攻基地知覧」(高木俊朗著)という角川文庫の文庫本を見つけました。
本の冒頭から引き込まれてしまいました。知覧基地からは千人以上もの若い飛行士が家族や親しい人達が見送りの桜の小枝を打ち振る中、飛び立って死んでいく…。桜の舞うこのような時期に爆弾をつけた飛行機で死んでいったなんてとても想像できません。
戦争も当時すでに沖縄まで敵の大群がいて九州方面も空襲が多かったそうです。、物資も底をつき、特攻に使われた飛行機は「隼」や終戦間際は「疾風」などもあったそうですが、固定脚の練習機のような飛行機も多く、さらに故障も多かったそうです。
家族や親しい人達が桜の小枝を打ち振る中を見送られて、「神様」として出撃しても故障などで2度3度と引き返した人も多く、ようやく基地にたどりついてもその人達を待っていたのは、仲間のいない兵舎や軍の隔離部屋や卑怯者扱いです。爆弾をつけたまま基地近くの実家まで飛び、両親が野良仕事をしている目前へ激突して亡くなったパイロットもいたそうです。本を読み本当に泣けてしまいました。
鹿児島枕崎へ
今回の九州クロカンでは知覧も予定されていて、直前に幸い参加OKを頂けました。南紀空港から室戸、足摺の岬をかすめ、VOR頼りに海の上を行きます。宮崎、鹿児島のTCAとコンタクト。雲が出て視程もあまり良くないが河原さんが右手に桜島確認。薩摩半島上にて、TCAコントローラーの方が枕崎空港は前方ですと案内してくれる。感謝しつつリービングコントロールゾーン。開聞岳を左に見る。あーこんな感じで若い特攻隊員は家族や故郷に別れを告げ南へ飛んでいったのかと想像してみる…。枕崎空港を右手に確認。ライトDWの山側からRW18へ。バウンドするまずいランディング。…とほほ。
知覧へ
翌日朝はタクシーにて広田会長さんの案内で知覧町特攻平和記念館へ行きました。一面に広がるお茶畑を過ぎ、知覧町の道路両端にずっと灯篭が続いています。特攻隊員が親しみ、映画「ホタル」にもある「富屋食堂」前を通る。ゆるい坂道を上る。本によれば飛行場は台地の上。ほどなく特攻記念館へ。正面右手に飛行服姿の特攻隊員像があります。T-6も飾られています。記念館内にはたくさんの遺品や遺書、特攻で亡くなられた方々の写真が展示してあります。本当に若い人達ばかりでしかもその表情の明るさに驚かされます。 実機の飛燕、疾風、海から回収した零戦、なども展示してあります。当時の基地のディスプレイもありました。知覧基地は交差する2本の滑走路があったようです。
記念館の方が飛燕の前でパネルを使いながら当時の様子を話してくれました。少なくない人たちが涙を見せていました。広田会長さんも目頭をおさえていたように見えました。
翌日河原さんの操縦で枕崎空港を飛び立ち、知覧のあたりを見ると台地状地形の畑の中にかすかに飛行場の跡らしき輪郭があるようでした。
ある若い特攻隊員にその母親は「最後に南無阿弥陀仏と唱えるのを決して忘れるな」と書いています。私は特別信心深いほうではありませんが、戦争責任やその時代背景を別にして、亡くなられた多くの若い飛行士達が天国で母や父、家族仲間たちと再会できる事を願わずにはいられませんでした。
素晴らしい時間をありがとうございました
この九州クロカンでは広田会長さん、河原ご夫妻には大変お世話になりました。クラブのみなさん、飛行機と素晴らしい時間を本当にありがとうございました。
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